名古屋哲学フォーラム2022秋のお知らせ
ご無沙汰しております。コロナ禍突入後初の名古屋哲学フォーラムは、中部哲学会との共催での開催となります。テーマは、「ことばと尊厳」。そして今回は、広く「ことば」について考えるテーマですので、手話通訳もつきます。ぜひ多くの方にご参加いただきたいと思っております。どなたでもご参加いただけます。
(追記:2022年9月23日)台風15号が24日に東海地方に接近する見込みです。そこで現地に来ることが困難な方のために、発表をZoomで配信することにいたしました。急ごしらえなのでいろいろと不手際があると思いますがご容赦ください。Zoomミーティング情報は中部哲学会の大会プログラム(https://docs.google.com/document/d/1ba15WoB99j1_57B0EVMTqaCVgED3TlF7E8j88qHDgS8/edit?usp=sharing)に記載してありますのでご覧ください。なお今のところ(23日12時)は現地でも開催する予定ですが、当日、 朝7時の時点で、開催地である名古屋市北区を含む地域に、大雨警報、洪水警報、暴風警報のどれかが出ている場合は、完全にオンラインで実施します。現地開催中止の場合は中部哲学会のウェブページ(https://sites.google.com/site/chubus4p/)でもお知らせしますのでチェックをしておいてください。
ことばと尊厳は、従来それほど結び付けて検討されてきたわけではなかったように見えるが、実際のところこの二つの概念によって議論の的となることは多くある。ヘイト・スピーチやことばによる脅迫のように人を傷つけたり、ことばによる嘘やミスリードや「たわごとbullshit」で人の自律の行使を妨げたり、差別的な言葉遣いやステレオタイプの使用や「犬笛dog whistle」「隠語code word」によって人を貶めたりすることは、相手の人としての尊厳を冒すものであると言われることがある。同時に、人が率直に声を上げることを妨げることや、自分についての語りをコントロールできないことも、その人の尊厳を守れないことになると言われたりする。いわゆる「言論の自由」の問題とその関連領域は、人としての尊厳を根本概念とみなすカントのような義務論的傾向を持つ者にとっては、どうしたらその尊厳を守ることができるのか、ひいては何が尊厳の本質なのかという大きな問題を実感させる場なのである。また、何らかの社会的要因・理由で周囲との共通のことばでの交流に参加できない者――もしかしたら、外国人、幼き者たち、未来世代、グライス流の協調原理によって振る舞えない者、言語を使う共同行為をできない者、その場の会話の規則に従えない者、手話を使う人――がいるとすれば、その存在のもつ尊厳を、どうしたら尊重したことになるのか、といったことも難しい問題となる。
こうした道徳哲学的な問題の解決には、その現象とその背後にある言語的・社会的構造の把握が不可欠である。たとえば、なぜ、そしていかにして、一定の言語使用が尊厳の毀損や貶価demeaningをすることになるのかという点は明らかではない。また、何がことばによるコミュニケーションへの対等な参加を妨げるのか、あるいは何によって一部の人がことばによる対話において不利な立場に置かれ恒常的な無理解と軽視にさらされることになるのか、そしてなぜそれがしばしば当事者にも言語化して提示することが難しい問題なのか、といった点は、まさにことばというツールとその使用の背景にある構造についての問いである。こうした分析の局面においても、少なからずことばにこだわってきた哲学は、問題の解決に貢献できるかどうかを試されている。そしてこの挑戦に答えようとする過程で、哲学的な対話や議論の営み自体が適正な言語的・社会的環境の下で行われてきたのかを反省することにもなるだろう。
なお、「尊厳」や「人としての尊厳」ということば自体も、実は批判の余地のないものではない。たとえば現在の英米圏の研究者には、それが単に個人の自律あるいはそれが持つ価値のことを意味するのでなければ、真剣な哲学論争においては回避すべきマジックワードだとみなす者も多い。また人格間の平等主義的な尊厳の用法は、他方で尊厳を持たない存在を質的に価値の低い存在としてみなす含意を伴うようにみえる。このある種人間中心主義的含意を持つ用法が、擁護できるものなのかという点は、規範倫理学において懸念の的となってきた。さらに「尊厳」には、威厳を持ったあり様・立ち居振る舞いという、いわゆる「男性的態度」のイメージを伴う用法があり、ジェンダー・バイアスについての懸念の余地もある。そして、そもそも尊厳ということば自体が一見して西欧由来であることから、その使用にはヨーロッパ中心主義についての危惧も生じうる。こうした「尊厳」についての論点の帰趨は、先に触れた「言論の自由」の諸問題や、周囲とのことばによる対話から排除されたり不利になったりする者についての問題についても、影響を与えることが予想される。
今回の名古屋哲学フォーラムでは、こうした、ことばと尊厳をめぐる様々な論点のいくつかについて、多様な視点から対話を進めようとするものである。興味関心のある方には、ぜひ参加して、自己と他者を尊重しつつ議論を深めるのに貢献して頂きたい。
*今回の名古屋哲学フォーラムは、中部哲学会との共催です。また、JSTムーンショット型研究開発事業JP-MJMS2011および科研費21K00030の研究活動の一環として実施されています。