開催趣旨

「私が生きている意味は何だろうか」という問いは、古来から人々を悩ませてきた切実な問いであり、多くの思想家がそれに対して様々な答えを与えようとしてきました。神のような人間を超えた存在との繋がり、死後の世界での救済、帰属するコミュニティへの貢献、周囲の人々との親密な関係、自己実現、やりがいのある仕事、幸福や満足、などなど。こういった答えはどれも決定的なものではなく、科学技術の発達や社会の変容とともに変化します。

現代の情報技術、特にビッグデータや人工知能の急激な発展も「生きる意味」についての私たちの考えに大きなインパクトを与える可能性があります。例えば、重大な意思決定(社会的なものも個人的なものも)がますます人工知能に委ねられ、社会にとって必要な仕事はすべて人工知能とロボットがやってくれて、さらには友人や家族がロボットに置き換わるとき、「生きる意味」について私たちがこれまで持っていた考えは維持していけるのだろうか。あるいは一部のトランスヒューマニストたちが夢見るように、人間がデータ的存在者となってコンピューターの中で不滅の生命を獲得したときには?

以上の問題を踏まえて、本シンポジウムでは、キリスト教思想・宗教倫理学などをご専門とする小原克博先生、宗教学・文化人類学・民俗学をご専門とする木村武史先生を基調講演者にお迎えして伝統的な宗教において生きる意味がどのように捉えられてきたか、それはAI時代に変化するのか、宗教はAI時代において生きる意味を見失った人々に何を示すことができるか、といった問題を論じたいと思います。

本シンポジウムは名古屋大学情報学研究科価値創造研究センターポジティブ情報学プロジェクトが主催しています。またJSPS科研費「「人生の意味」と死の形而上学:分析実存主義の可能性とその批判的検討」(課題番号:20H01175)、「ポストトゥルース時代の新しい情報リテラシーの学際的探究」(課題番号:19H00518)の助成を受けています。

プログラム等

講演タイトルと要旨

基調講演1:小原克博、「AIは人生を最適化してくれるのか──人間およびAIにとっての生きる意味」

日常的な判断(何を買うべきか、食べるべきか、どのような経路をたどるべきか等)の多くをAIがサポートしてくれるようになった。判断のために悩み、時間を浪費することは端的に不要な「コスト」と見なされるからである。また、AIによって示されるデフォルトは効果的なナッジ(「望ましい」行動へと人を後押しする行動経済学的アプローチ)にもなり得る。ただし、個別化された(パーソナルに最適化された)デフォルト・ルールに従うことにより視野狭窄となる可能性があることは繰り返し指摘されてきた(デフォルトは、過去の選択と矛盾しない結果となるように促すから)。

他方、宗教伝統の多くは、自己決定に反する、不本意な遠回り(偶然性)に人知を越えた存在の導きを見てきた。そこでは世界観の変化・拡張が伴う。本発表では、聖書の物語などを参考にしながら、AIの社会的実装に伴い、人間の生きる意味がどのように変容していくのか、また、AIが生きる意味を考えるとき、何が起こるのかを考察する。そして、人間とAIの間の再帰的関係に光を当て、AI研究が人間観に及ぼす影響を考える。

基調講演2:木村武史、「セックス・ロボット、ポスト・ヒューマン、人類はどこへ?」

AIを題材とした映画やテレビドラマが作られているが、その中には人間がアンドロイド型AIに性的魅力を感じるというモチーフが前面に出てくるものもある。女性型アンドロイドAIが主人公の『エクス・マキナ』や男性型アンドロイドAIが主人公の『アンキャニー』などが思いつく。どちらも人間がアンドロイド型AIに感情的に引き付けられ、同時に性的に魅了されることによって人間が幻惑される様子が描かれている。では、実際のセックス・ロボットの場合はどうなのであろうか。人間とセックス・ロボットの関係を考える際には、従来の人間観からポスト・ヒューマンへと移行している状況を考慮する必要がある。人間性の中で機械化からは遠いと思われていた人間の性的次元までが機械化・技術化の領域に包摂されるようになるとしたら、人間存在の神秘性は消滅するのであろうか。この問題について考察を加えてみたいと思う。

ディスカッサント

参加のお申込みと問い合わせ先

参加申し込み:https://us02web.zoom.us/webinar/register/WN_kMHlKjcCQD-fICOOAFsbPg

問い合わせは、久木田水生 minao.kukita@i.nagoya-u.ac.jp まで